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君に残るかすり傷 [問はず語り]

子守りや家庭教師をした子どもたちのご両親から、何年経った後でも便りが届く。
出会った当時は日本語英語もおぼつかなかったおチビさんはもうすぐ大学生に。
一緒に算数や国語を勉強してた小学生インターンで中東に。
5歳の誕生日を一緒に祝った女の子は、乗馬の試合に出るそうな。

ほんのしばらくの間を一緒に過ごし、遊び、学び、時にけんかして、たくさん大笑いした。
別れた後、彼らは私に何のお構いもなくぐんぐん背が伸び、腕力も体力も知識も増して、私を追い越していく。
彼らがいまだに追い越せないのは、私の年齢だけである。いっそ追い抜いていいんだぜ?
時が経てば経つほど、私と過ごした時間なんてほんの一瞬になっていく。
大人になって行く彼らの姿を、私は見ていないし、見ることができない。

卒業や引越しで別れが来るたび、子どもたちは泣いたり怒ったり、「次いつ来るの?」と聞いたりする。
5歳、10歳の子どもにとって別れは「もう一生、二度と会えない」に等しいくらいの意味があるはずだ。会いに行くための交通手段も知らなければ、お金もなく、電話も郵便もよく知らない。
それでも私は、またいつか、そして願うならいつでも、会えることを知っている。

転んだりぶつかったりした時にできる鋭いかすり傷のように、思い出がその子の体に残りますように、と私が願うからだ。
時が経ってしまえば痛くも痒くもなく、よくよく見なければわからないほどの傷跡。
大人になってから、ふとした拍子に「ああ、あの時の」と思い出す、そんなかすり傷が誰にでもひとつはあるだろう。
私との思い出が、そんなかすり傷のように、その子の体に残ればいいなと思う。
そのかすり傷を見るたび、思い出せるからだ。そしてそれは、会うことと同じだ。


これから先、面と向かっては一生会えなかったとしても、君の体に思い出は残されている。
今となってはおぼろげでリアルには感じられなくても、その傷跡を見つけたら一人でニヤッとして欲しい。
「ああ、かえちゃんと遊んだあの時の」
って。
そしたら、そんな時、私も私に残された傷跡を
「あー、これはあの時の・・・」
「これは**ごっこをしたときのだ」
と数えているはず。
いつか再会できたらその時は、お互いに披露しよう。

今はひりひり痛くても、そのうちなんでもなくなるよ。でも、君の体にちゃんと残ってる。
かすり傷みたいに。

私とあなたの物語 [問はず語り]

あの日バイオリンと小さな荷物を二つ背負った私は、見つからないように見つからないようにって、そればかりを願いながらその場所を出た。
たどり着いた「隠れ家」に転がり込んだ後も、カーテンも閉めて電気も消して何時間もじっと座って息を殺していた。
暗くなっても電気をつける気になれず、テレビをつけてみてもその音量に怖じ気付いてすぐに消した。
誰かが追いかけてくるんじゃないかって、そんなはずは絶対にないのに、どうしても気になった。

眠れない一晩を布団の中でまんじりと過ごし、夢なのかぼやけた意識の断片にいるのかわからなくなった頃、となりにある教会の鐘が鳴った。衣擦れの足音がかすかに聞こえる静かな夜明けだった。

どうせこのまま眠れずに会社に行くのだから、とミサに出た。
朗読された聖書は「トビト記」だった。
トビトは非常に善良な、神に忠実で正しい人であったのに、昼寝の最中に鳥の糞が落ちてきて失明してしまう。
びっくりな幕開けに眠気が吹っ飛んだ。
続きが気になれば聖書を開いて読めばいいのだけど、なんだかそれもつまらない。
続きは次の日に読まれると知ったので、つられて次の日も朝のミサに出た。

トビトには次々に災難が降り懸かる。
なんでこんな目に遭うのか、
神様いっそ、私の命を今終わらせてください、とトビトは長い長い長い長い祈りを捧げる。やたら長くてそれだけで一日分の朗読箇所になっていた。
いい人に限ってひどい目に遭う。鳥の糞で失明だけでもほんと凹むよ、いろんな意味で。

一方その頃。
場所は遠く離れたところで、サラという若い女性にも悲劇が起きていた。

え?トビトはどうなったの?
と思ったけど、こちらもなかなかな悲劇。

7回も結婚したのに初夜を迎える前に相手が死んでしまうのだった。花嫁と結ばれずに死んでしまった7人の花婿もかわいそうだけど、不吉だと後ろ指を指されて、サラもつらい。これまた長ーい嘆きの祈りを唱えながら、首を吊って死のうとする。
ここでまた、続きは明日。
どうなるどうなる!?と気になって、ミサに通ってしまう。あんなに早起きが続いたのは人生であの日々だけだ。

二人の長い祈りは天まで届き、
神は大天使ラファエルを遣わしてトビトの息子、トビアが旅に出るのを助ける。
ババーン、大天使ラファエル登場!!
興奮に胸沸き踊ったところで続きははい、明日、となる。

トビアは、父トビトが昔親戚に貸したお金を回収しに旅に出、その先でサラに出会って結婚。
まぁ、なんて上手くできたシナリオ。
そしてトビアは死ななかった!
借金も回収できたしトビアとサラが一緒に戻ったら、トビトの目も見えるようになって、
大喜びで捧げた感謝の祈りがまた長いのなんの。
そしてトビトは長寿の沖縄人もインド人もびっくりするくらい長生きしたらしい。

はちゃめちゃな話だと何度も思う。
誰が考え付くねん、こんな話。橋田スガコもびっくりだよ。
でも、自分のせいではないはずなのに、生きていれば悲劇は何度も何度もこの身に起きる。それは誰の身にもよくある話。
人を疑い、神を呪って、でも神にすがらずにはいられない。出会った人に助けられて生きていくしかない。

だからトビトやサラの切実な訴えに、祈りに、何度も泣いた。
だから大天使ラファエルの登場に、泣いた。
神様が用意したニクい演出に、泣いた。

トビトの物語は、私の物語だ。
サラの嘆きはあなたの叫び。
誰もがトビアのように旅をして、きっとその隣を大天使ラファエルが歩いている。
そうだと気がつかなくても、後できっと分かる。
私の隣を歩く大天使ラファエルは、あなた。
そしてあなたの隣を歩く大天使ラファエルは、私だといいなと思う。
トビトやサラやトビアの物語が、あなたにも私にも、昨日も今日も訪れている。
あと100年経ったらエステル記とマカバイ記の間くらいにさりげなく「イノウエ記」が入っているかもしれない!

明日笑うために、今日泣くんだ。この声はきっと届く。だから隣には大天使ラファエルがいる。
そうと分かれば思いっきり大声で泣いたらいい。
神様がおまけで大天使ミカエルも付けてくれるかもしれないから。
私なんて大声でびーびー泣くから、
きっと右にラファエル、左にミカエル、後ろにガブリエル、前にウリエルがついているに違いない。









それにしては何もないところでよく蹴躓くけど、、、、、、、、、
その辺もうちょっとちゃんと守って欲しいわぁ。

私に遺されるもの [問はず語り]

「ねぇ、うちっておかねもち?」
「財産って何?うちに財産ある?どれくらい?」
「うちにあるもので『何でも鑑定団』に持って行ける物って、どれ?」

成長過程で子どもが親に聞く質問としては、しごく真っ当なものだろう。
私もこの手の質問を親に対して、特に父に対してした記憶がある。
しかし何度聞いても、父の返事は毎回、
「なぁーーーーーーーーーーーーんにも、ない」
だった。

我が家は、私が知っている限りで4代前からずっと、牧師家庭だ。
貯金も、財産も、お店も技術も、親から手渡されて受け継げるものは何もない。
住居も身の回りのものも、全部一代限りだ。

後を継ぐ家業の大変さや、それのない気楽さ、不安について話すつもりではない。
父も祖父も、曾祖母でさえも存命中に私に遺された遺産を、私は今日知ったという話だ。

ここ数日の間、調子がイマイチで、腹を立てたりイライラしたりしていた。
最後は悔しくて泣いた。
眠れずに迎えた朝、お決まりの変な夢の中でまどろみながら、なんとはなしに冒頭の質問が頭に浮かんだ。
『鑑定団』のくだりなんて、つい先日も父に聞いた質問だ。
父はこれまでとまったく同じ調子で
「なぁーーーーーーーーーーーーんにも、ない」
と答えた。

でも、私が小学校高学年くらいの頃、父が言った言葉を思い出した。
「うちの家系はみんな、手がちょっと小さいんだ。ずっとペンを持つ労働だからね」
バイオリンの練習で、いつも正しい場所まで指が届かなくてずれた音を出し続ける私に、言ったのだろうか。
ただ単に、自分の手が少し小振りなことを思ってなんとなく言ったのだろうか。

父が『始めに言葉があった』と書かれた書物を片手に、毎日読み、書き、話し、聞く姿は幼い頃から見てきた。
そして、祖父が生前そうだったことも、祖父が書き残したものや写真が教えてくれる。
同じく牧師だった曽祖父母も、和尚だった曽祖父も、同じだろう。
少なくとも150年前から、我が家は言葉を話し、読み、聞き、書くことで生き、食べ、家族を支えてきたということだ。
他所へ嫁に行ってしまえばこの苗字さえ失ってしまう私に、遺されるものがあるとしたら、これしかない。
相手に笑顔を、幸せを、平安を、勇気を、元気を、与える言葉。
これだけだ。


「ねぇ、うちっておかねもち?」「うんにゃ、びんぼう」
「財産って何?うちに財産ある?どれくらい?」「お金になる財産はゼロ。マイナスにしないのがやっとだな」
「うちにあるもので『何でも鑑定団』に持って行ける物って、どれ?」「なぁーーーーーーーんにも、ない」
でも、私にも父から手渡されたものがある。
曽祖父から、曾祖母から、祖父から、父から、母から、受け継げるものがある。遺されるものがある。

「うちには、これと、これだけさ」
あの時父はそう言って、まだ今よりもう一回りは小さかったはずの私の手を握り、
それからおでこをツンツン、とつついた。

あれを生前分与と呼ぶべきか。
しかし、私は、受け継いだものを、正しく、丁寧に、使わねばならない。


私はあなたと通信したい [問はず語り]

国際信号旗、というものをご存じだろうか。
近年では通信手段が色々に発達して、情報や意志の伝達には電波が大活躍だから、色の付いた布切れでコミュニケーションするなんて時代遅れだと思われるかもしれない。

信号旗とは、船のマストに掲げたりしてメッセージをやりとりする旗で、赤と白だけを使う手旗信号とはまた違う。
国旗のように数種類の色が、様々な組み合わせになっていて、旗一枚がアルファベットの一文字と、もう一つ固有のメッセージを持っている。

たとえば旗の右半分が青、左半分が黄色のこの旗。
600px-ICS_Kilo_svg.png
私の名前の頭文字「K」という一文字、もしくは「私はあなたと通信したい」という意味を持っている。
船が使うものなので「本船は貴船との通信を求む」といったところ。
国際、と名のつくとおり、世界共通のものでどんな国の船、港でも通じる。
この信号旗を知って、夢中になった時期があった。

私には不治の病があって、それは「憧れ病」というのだけど(自分で勝手に命名した)、
興味を持つとすぐに夢中になって憧れてしまうやっかいな病だ。
「忍者ハットリ君」を見て忍者に憧れ、シーツを両手両足に持って高いところから飛び降りた、なんて序の口で、いいなぁーと思うと自分もできるようになりたくてたまらなくなる。航海士もそんな職業のひとつだった。

とにかく当時は船乗りになりたくてなりたくて。
父の幼なじみが乗った「日本丸」や「海王丸」が長崎港に寄港するたびに訪ね、船に乗せてもらって船内を隅々まで案内してもらった。
船乗りが食べる、肉がゴロゴロ入った絶品のカレー。船を港につなぎ止めておくロープに取り付けられた「ネズミ返し」。円い窓。デッキブラシは半分に割ったココナッツ。上ることを考えたらくらくらするようなマスト。皆が上り下りするたびに触るから、自然に磨かれてツルツルになった階段の支柱。大量のスイッチや電極のようなものが並んだ通信室。見るからに複雑な海路図や大きなコンパス。
何度見ても飽きなかった。
そして新刊が出るたびに姉弟で先を争って読んだタンタンの冒険シリーズ。そこに、幾度も信号旗が描かれていた。
ツー・トン・ツーの無線にも手旗信号にも惹かれたけれど、一枚で意味を持つ信号旗には特別な魅力があった。そしてそのメッセージもそれぞれにおもしろかったのだ。
何マイルも離れたところからでも、海ならばほかに遮るものがないから双眼鏡でよく見える。どこの国の何という船かわからなくても、マストに掲げられた旗で、通信ができる。
「本船には伝染病患者あり」

「本船は右に進路を変更中」、
中には
「人が海に落ちた」
なんてのもあって、船にとっては本当に重要なやりとりだけれど、想像すると笑ってしまうような面白味があった。
図鑑に一覧表を見つけた時には、眺めるだけでうっとり。
学校で自由帳に描いては友達に見せ、「これは何の文字、意味を表しているでしょう」という誰にも答えられないクイズを延々出して場を白けさせた。
今、電車クイズを出し合いっこできる彼氏(9歳、鉄男)がいて嬉しい限りである。
私が信号旗のメッセージをいくつも覚えたところで、相手がその意味を理解してくれなければコミュニケーションは成立しない。思えばいつも、私の通信手段はこんな風に周りとちぐはぐしていたのかもしれない。多くの人に自分の気持ちを分かりやすく伝えることは本当に難しく、相手のメッセージを受け止めるには相手のこともたくさん知っていなければならない。
だからこそ、互いに同じ話題、同じ表現で意志疎通ができたときは喜びもひとしおだ。
見渡す限りの海原に、たなびく信号旗を見つけたときのように。
(そんな経験は私にはないが、私が船乗りだったらきっと嬉しいと思う)
船乗りにならなかったから覚えた信号旗が役に立つことはなかったし、その後夢中になった難解な暗号文や魔法使いの呪文も通用しなかった。
でも、相手に伝わらない、相手の気持ちが分からないという経験を数え切れないほど経てもなお、私は未だに通信手段をあれこれと試し続けている。
コミュニケーションが何度ちぐはぐしても、私は「通信」をあきらめたくない。
どんな相手とも、やりとりできる手段はきっとあると信じたい。

私の掲げる信号旗は「K」
「私はあなたと通信したい」だから。

電車に忘れ物をしたら [問はず語り]

日頃から忘れ物クイーンを自認しています。
(そろそろ辞任したいポストですが)
電車に乗ったときにも、その手腕は抜かりなく発揮され、
これまで車内に置き忘れてはならない様々な物を置き忘れ、紛失し、落っことしてきました。
時には電車の中で、自分さえ見失います。

東京に出てきたばかりの頃、郵便物を置き忘れてパニックに陥りました。
駅のホームに降り立って、背後で電車のドアが閉まった瞬間に
「ハッ、忘れた!」
第一プチパニック。
その場でホームにいる駅員さんに
「こ、こ、この電車に忘れ物をしました」
というと、駅員さんは小さな紙切れになにやらメモして、
「これを持って事務所に行ってください」
と言いました。

駅の事務所というのが、これまたわかりにくいところにあるのです。
第二プチパニック。
やっと探し当てて、事務所にいる駅員さんに助けを求めました。
「この電車に(メモを出す)忘れ物をしました」
「どんなものですか?」
「A4サイズの茶封筒です。宛名は○○○○様って書いてあります」
「何両目かわかりますか?」
「え?・・・・・・・・・いえ、相撲のことはよくわかりません」
「・・・え?  あ、いや、そうじゃなくてね。ま、いいや」

駅員さんは、次々といろんな駅に電話をかけて聞いてくれます。
私が乗っていた電車が、今どの辺りにいるか、わかっているのです。
駅員さんがとても頼もしく見えます。
感心して眺めていると、その胸には
「助役」
という名札がついています。
「なるほど~~~~~。確かに助かるわぁ」
と妙に納得です。

駅員さんが私の茶封筒を捕まえてくれました。
喜びで第三プチパニック。
「あのね、大手町の事務所で預かっているから。わかる?取りに行ける?」
「はい!大手町は前に住んでいたのでわかります!」
いやいやいやいや、、、、私が住んでいたのは長崎の大手町です。

「身分を証明できる物が必要だけど、何か持っていますか?」
引っ越したばかりで保険証は住所が古いまま。
東京初出社の日だったので、社員証もありません。
第四プチパニック。
「(少年隊の)ファンクラブの会員証なら・・・・」
「(苦笑)いや、それではねぇ。。。
ま、いいや。大手町には私から話しておきましょう。**さんを訪ねなさい」
「ありがとうございます(やっぱ助役は助かるわぁ~)」

と、まあ、東京に出てきたばかりの頃は私もこんな風でしたが、今や手慣れたものです。
忘れ物をしても、慌てず騒がず手順通りに捜索願いを出せるようになりました。
(忘れ物をしなくならないところが、クイーンたる所以)

電車を降りて、改札口で
「ハッ、定期入れがない!」

そんなときは、改札横の駅員さんに
「電車に定期入れを落としました。駅の事務所はどこですか?」
と聞きます。
おお、スムーズ。

駅の事務所では、こんな問答。
「○時○分位に着いたどこそこ行きの電車で定期入れをなくしました。
座っていたのはだいたい○両目、2つ目のドア付近です」
「どんな定期入れですか?」
「布製で、ベージュ色で、ビヨンビヨンがついています」
なんだか、この辺りからおかしな感じ。

「はい???」
「あの、なくさないようにつけているやつです。伸びるやつです」
「・・・・(つけてるならなくすなよ)・・・ああ、ゴムのですね」
「そうです!」
「定期はsuicaですか?中にはほかに、どんな物が入っていますか?」
ポイントカードとか、図書館の貸し出しカードとか、
少年隊のファンクラブ会員証とか入っています」
絶対にいらない情報です。

「ああ、そうですか
(聞きながら、ビヨンビヨンも少年隊も全部紛失届に書いている)
では、後ほどご連絡します」
「よろしくお願いします」

そしてにわかに私を襲うパニック。
「あの!私、駅からどうやって出たらいいのですか!?」

う~~ん、まだまだですね。
みなさんも電車に忘れ物をしたら、助役に助けを求めましょう。
そして、ファンクラブの会員証は身分証明にはなりませんのでそこんとこ、お忘れなく。

会いたいときにあなたはいない [問はず語り]

というタイトルドラマがあったことを思い出している。


探し物が見つからない。

いざ必要なときになって物が忽然と姿を消すのは我が家に小人が住んでいるからだ。
そう固く信じていないとやってられない人生だから、
できることならスウェーデンとかフィンランドに住みたい。


でも寒いの苦手だから無理。

ぼくらのはやぶさ [問はず語り]

つい数ヶ月前だったら、「はやぶさ」といったら新しい東北新幹線の話だった。
緑色で長~~~い顔の新しい車両は、名前を公募で募集して、
彼氏(9歳、鉄男)は
「わかば」
という名前で応募したそうだ。
すごくいい名前!よく思いついたなぁ。
私は断然「わかば」を推したいが、とにもかくにも、「はやぶさ」に決定した。
運転開始は来年3月。

私にとって新幹線はなんと言っても0系だ。
だって、それしか乗ったことがない。
でも、はやぶさの、目にも鮮やかな緑色はなかなか斬新じゃないか。
彼氏(9歳、メガネ男子)と一緒に乗りたくなった。
思い出のある電車が引退するときの涙を味わわせてやりたい。
(こないだ寝台特急「桜」号の話をしたらつい泣いてしまい、笑われたから)



ここ数日の話じゃ「はやぶさ」といえば惑星探査機に決まってるらしい。
ちっちゃな星まで行って石を取って来るため、7年前に飛ばされた。
帰り道ではエンジンも壊れるし、あっちこっち壊れるし、4年で帰ってくる予定が、3年延びた。
その距離なんと、往復で40億キロ。
最後は、拾ったものを包んだカプセルを地球に落として、大気圏で燃え尽きた。

真っ暗な宇宙、だれもいない空間、何も聞こえない海を、
大怪我を負いながら一人で何年も旅するなんて、できるだろうか。
誰かが待っていることを信じて最後まで諦めずにいられるだろうか。

その健気さを伝えた新聞コラムにほろりとしてしまった。
(10日付朝日新聞天声人語)


その身に使命と夢を乗せて、はやぶさは飛ぶ。
その目はまっすぐ行く方を見据え、手にした希望はがっちり掴んで離さない。
羽ばたきは雄雄しく、目的地まで倦まず飛び続ける。
一方の旅は終わり、一方の旅はこれからだ。

私の旅はどうだろうか。あなたのは、どうだろうか。
私もあなたも、使命と夢を乗せて飛んでいるはずで、
きっとその先には誰かが、何かが待っている。
そう信じて、その身が尽きるまで飛び続けられたら。

そんなふうに思った。
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